こんな時どんな顔したらいいかわからない
『笑えばいいと思うよ』
有名なシーンの1つです。
エヴァを何回みても理解出来なくても、このシーンだけは理解出来たのです。
今回のブログは長いです。
書かなければいけない事がたくさんあるので、時間ある時にオススメします。
今から10年程前にキッカケは忘れましたが1人の女性と連絡先を交換しました。
不思議なもので10年間、1度も会った事はありませんでした。
今年の1月、都内で2時間だけ話をする為に居酒屋に我々はいました。
10年という歳月で、電話やメールなどで9割は本音でお互い話せていたので、初めまして感は0でした。
如何わしい目的は双方になく、ただ都合がつけば会ってみようと。
お会いした感想は、10年前から変わらないなと。
あちらさんからは、兄さんと呼ばれていますが、兄さんは良い意味で変わりましたねと。
それから5ヶ月。
1度も連絡はとっていませんでしたが、久しぶりにメールが届きました。
『未だに反発してしまう自分はどうしたらいいか?』という内容でした。
主に家族の事でした。
私達に大きな病気や事故がなければ、大切な家族の死を受け入れる日がいつか訪れます。
他に頼れる親族がいなければ、その直前に面倒を見るのは私達自身です。
彼女の悩みは、その時に『面倒を見たくない』というものでした。
どう返答したらいいのかわからず、とりあえず思いつく限りの言葉を伝えましたが、何一つ届きませんでした。
彼女は、いつ自分が死んでもいいと本気で思っており、今も好きな事をやっているわけではなく、やりたい事がないから消去法で生きているという思考です。
それが親の介護などで縛られるくらいなら、死にたいと思ってしまうようです。
自分を犠牲にしても守りたい人ならば、おそらく出来る事はあるでしょうが、彼女にとっても私にとってもお互いは数多いる知り合いの1人で、現実的に支え合う事は難しいのです。
ありきたりですが、あなたの本音を全て親に伝えてみたら?と勧めましたが、責めないで欲しいといわれてしまいました。
普段、私達が当たり前のように行っている事。
呼吸をする、食べる、排泄、働く、遊ぶ、寝る、瞬きをする。
特に障害がなければ、自然とみなコレをできるのに、彼女の言い分としては、それがどれだけ凄い事かわかっていないと。
あなたにとっての当たり前は、私にとって別次元だと。
このように言われてしまい、タイトルにもあるような事を思ったのです。
そして私が導き出した答えは、彼女の思考になり何を思うかでした。
余計な事を考えすぎるし、余計な事をやりすぎる。
ならば、当たり前が当たり前ではなくなる環境下に身を委ねる他ありません。
仕事を辞めて、家を出て、最低限の持ち物だけを抱えて、寺に行きなさいと。
お寺では時間が非常にゆったりと流れます。
イメージでしかないですが、雑念を取り払う=無駄なものがない
それが叶うのは寺しかないと。
こっちは大真面目です。
考えすぎる彼女には考えなくてもいいし、考えてもいい環境が必要だと思ったからです。
極力『無』になること。
予想外の言葉だったようですが、どうやら彼女には響いたらしく、たぶん夏には尼さんになると思います。
こうやって寂聴さんも若い時に駆け込んだのかなぁ?とか思いながら締めたいと思います。