99%の自信と1%の不安
世の中の全ての事柄がYES or NOだったら
とても簡単だとは思うが、そのどちらでもない中間の意見の採用率が低いように見受けられる。
最近の話だと新しく職場に入った子がミーティングがあると知っていながらも、お手洗いに行っていて少し遅れて参加した。
その時に彼の先輩が叱咤していたわけだが、正しい事を言ってるのにも関わらず言い方にトゲがあった事と、全員の前で言う必要はなかったのではないかと思っていた。
第三者の前で伝える事で守らなければならないという事を念押ししたのだと思う。
ただ、その第三者の私が聞いても違和感があったのだから注意を受けた彼は余計に素直に受け入れられなかったのかもしれないと感じた。
その先輩自身も時間をキッチリ守るかと言えば過ぎてしまう事もあるし、私自身もそうだ。
大企業でも小さなグループでも上に行けば行く程に責任感を持ちながら、どこか油断も生まれがち。完璧なんてない。
あの場合は冒頭か締めに「俺もあるから治さないといけないんだけどさ」という一言を添えてあげれば新人くんを注意しつつ、自分の非を認め改善を図ろうとしているように聞こえたと思う。
間違ってはないんだけどさ。
私が誰かに指摘をする際は、もちろん自分が正しいと思っているが、どこか落ち度はなかったかを常に考えている。
あからさまにおかしいと思われる言動があったとしても、その本質を見抜けていないのであれば「絶対」とは言い難い。
その場合は第三者からはこう映ると添えるだけで、個人の意見だったものが複数の意見として伝える事が出来る。
相手に受け入れやすくする+自分を守る話し方っていうのかな。
個の意見を主張しすぎると、それは押し付けだったり強制になり兼ねない。
そういうのはやり方として望んでない。
あ、これは私自身の意見ね。
みんなが正しいと思ってやってきた事が数字として反映されていない今、これまで少数派だった意見も採用するのも面白いと思うし、少なくとも検証してみる価値はある。
絶対に正しい、間違ってると言い切れないならば、その意見の過程と結果までは見据える義務があるんではないかと思う。
伝えるのって難しいや。
今日もサービスサービスぅ♪