megane30sai’s blog

オッサンのオッサンによるオッサンの為のブログ。

独りんぼ

この街で生まれ

この街で育った

しかし生き方を間違えたのか

私には地元がない

地元での付き合いがない

進学して友達が出来たが

ほとんどが3年間だけの付き合いで

私のメモリーは常に上書きされ

過去のメモリーは抹消される


社会人になり

多くの人々と出会い

たくさんの話をしてきた

みんな地元があり友がいる


羨ましいと思った

でも気がついた

私の居場所はきっとここだ

異動したくない理由は

仕事よりも

この居心地の良い空間や人達と

毎日会えなくなるからだ


そんなつもりはなくても

どこかで縋り付いていて

それが邪魔をして進めない


きっとこれだけ仲が良くても

いつものように上書きされて

1人 また1人と

気がつくと疎遠になっていく

もう それが嫌なんだ


無理するものではないが

世界を広げないといけない

もっと多くの人々と出会い

多くの話をしなければいけない


そうでなければ

私はこれ以上の成長はなく

ただ見守るだけの人になり

置き去りにされてしまうのではと

一抹の不安を覚える


あまり人付き合いは良い方ではなく

どちらかと言えば冷めている

この火を絶やさなぬように

私は私が出来る事をしていく


あぁ無情

なんと儚き生き物よ

今年の夏は

また涼しいのかな




3週間

付き合って3年経つ人がいる。


去年までは付き合っていたと呼べたが、今年に入ってからは同居人という感じ。


同じ家にいながら2ヶ月弱会話をしていなかった。


そもそもお互いが自由を求めていて、友達と遊んだり、仕事に没頭したり、誰かと長電話したり、そういうスタンスを崩さない付き合い方をしていた。


特にコレといった話題がなければ別に話しをする必要性もない。今回は長いだけ。


だからこそ2ヶ月というコミニュケーションを取らない時間があっても、それが普通の感覚で特に何とも思っていなかった。



ただ、1つだけ引っかかる事があった。


前にも書いたと思うが、3年が過ぎたタイミングで将来の事を考えられなければ別れる、という条件を決めて交際がスタートしているのだ。


そして4年目に差し掛かったタイミングで、この先をどうしていくのか聞いてみたところ、このままで良いという返答が。



そういう答えは無しだったはずじゃ…



身の周りで既婚者は年々増えてきていて、大変そうな人が多いんだけど、紙切れ一枚を提出すれば夫婦と認められ、特に何も変わらない生活だという人の話を聞き、案外そんなもんかぁと楽になった。 


だったら別に結婚したって構わないやと思っていた矢先、今は結婚する気ありません的な事を言われたわけで、そりゃ調子狂うわけ。


そこから会話が減り上にも書いた通り、割と長い間お互いが空気のような存在になり、本当に自由に過ごしていた。


夕飯を一緒に食べるとかもなくて、シェアしてるみたいな。


どっちでも良かったのだが、今の生活が1年も2年も続くと考えると怠くて先週久しぶりに話をした。


3年間という期限を設けたのは向こうだったから今度は俺が期限と条件を決めた。


仕事もGWなど忙しいだろうから、ざっくりと3週間。


どっちにするか決めていいよと伝えた。



どっちでもいいと思う人と結婚すんのもおかしいし、すげー嫌いってのもないのに別れるのも変ではあるんだけど、意味がない生活はしたくない。


着々と年だけはとっていく。


つい最近、習い事しようみたいな話が職場で出たけど、そういう時間の使い方を誰に遠慮もせずにしたいしね。


なので5月中旬くらいに答えが出ると思う。


本当に上に書いた通りどっちでも良い。

どんな答えでも受け入れようと思っているからこその提案。


たまには悩んでもらおう。

こっちは気楽に当日を迎えるだけ。

そんな3週間の約束。







覚醒

どうしても書かなければいけない事が2つあった。


3週間の話。

30階とオカンの話。


でも、それよりももっと書かなければいけない事が見つかった。


信頼しているスタッフと話した。

信用しているスタッフと話した。

上長と話した。


そして答えが見つかった。

残された時間は少ないが、やるべき事が全てわかった。


こんな一気に悟るものか。

今日の会話で得た物は、1年間働いていてもわからなかった事が繋がった。


やはり私は歯車だ。


止まるわけにはいかないな。



言葉の力と販売力

某タイトルから引用したタイトル。


改めて思うけど人間の凄いところは言葉が扱える事で、しかも同じ事でも表現の方法が限りなくある事に尽きると思う。


例えば誰かと喧嘩をした時。


その場面での言葉には負の感情が宿っていて、放たれる言葉には相手を傷つけるワードがあって、気分を害する事になる。


更に付け加えるとそれを言った本人が後々冷静になった時に、自分の放った言葉によって

自分自身もまた苦しむ事があるという事。



次は誰かを祝う時。


この場面での言葉には思いやりがあって、受け手によっては笑顔になったり涙したり、思い出に残る事になる。


また、自分自身も後で思い出して恥ずかしくなったり、時には懐かしんだりする場面の1つになる事もある。


何かを説明する時。

仕事柄、これが1位かもしれない。


ある商品を何人かに店員さんに説明を求めたところ、同じ事を言っているのにこちらの理解度に大きな差がある事がある。


淡白な説明を求めている人もいれば、純粋に売価だけを求めている人もいるし、こんなシーンでこんな風に活用できるとかっていう考えもしなかった使用方法を求めている人もいるかもしれない。


私が思うに、これは相手の要望をきちんと聞き出すヒアリングの力と、その要望を言葉にして理解させる伝達力が必要不可欠だと考える。


言葉で伝わりにくいなと思ったら席に移動して、真っ白なA4の紙にイメージしやすいように書いて伝える。


その紙にも書き方があって、必要な情報が必要な順番で並んでいるかが大切で、後で1人で読み返した時にいかに思い出す事が出来るかが鍵となる。


だから仕事をする上で引き継ぎ、問い合わせ対応なんかが上手い人は、総じて販売能力が高い人が多いと思う。


全て言葉で始まり言葉で終わる。


物を売るという行為は難しくはない。

販売するが目標の人はあまり売れない。


相手の事を考えて、実際に使ってみた時にどうなるか?


困った時にどうす!ばいいのか?


ここまで伝え切らなければ販売する資格はないと思う。



結局のところ言葉の話から物販の話になってしまったが、自分自身を売り込んで、かつ

相手の「その後」を考えられるかを言葉でどう伝えるかが最も重要であると信じたい。


不安感を煽って売れたとしても、冷静になった時に不要だと思われれば、それは無駄な販売に過ぎないし、相手を気遣った言葉が逆にイラっとさせる事に繋がるのも背景無視の口から並べているだけに過ぎない。


そんな風に今日は思った1日だった。



エイプリルフール

2週間も経って今更感しかないですが、今年のエイプリルフールには特になんの嘘もつかないで終わりました。


そもそもエイプリルフールって何の為にあんのよ?って話ですがちゃんと意味はあるようです。


フランスでは3月25日〜1週間ほどを新年としてお祝いしていたらしいのだが、国を治めていたシャルルという方が1月1日を新年とする暦を決定的。


それに反発した人々が4月1日に騒ぎ立てまくったというのです。


ただ、当時騒いでいた人達は処刑されてしまったという説があり、彼らを忘れない為にも4月1日はジョークやらなんやらでとにかく騒ぐんだという事がキッカケみたい。


と、wikiに書いてあった事をふんわりと書いてみました。


どっちでもええやん。

度が過ぎなければ、そして良い嘘ならついてもいいのよ。


むしろ毎日でもいいと思う。


嘘を嘘と見抜けない。

事実を疑う。


これは受け手が悪いんや。


そういうのに慣れておかんと、いざ本当に無茶苦茶な世界になった時に対応できないと思うのね。


何にかは知らん。

こちとら思いつきじゃい!

なんなら昨日の地震のブログ直後に書いて保存してたやただからそのまま下書きから掘り起こして貼ってるだけじゃい!


果たして本当か嘘か。

どっちでもいいっしょ?


さーて今日も仕事仕事!


熊本の地震から考察

何年か前に東日本大震災がありました。


あの日、私は仕事をしていて普段より遅めの休憩に1人で入っていました。


注文し終わり外に設置してあるテーブルで食べようと思っていて、なんとなく待っている間に空を見上げたら何百羽単位で鳥が大移動していました。


「珍しいな。なんだろう?」


と、思ったのと同時に大きな揺れに見舞われ、建物の中が全て停電しました。


初めての大きな地震に多少取り乱しましたが冷静に危険ではない場所に移動し、中の人達がどうなったのか安否を心配していました。



とても不安でした。



割と大きなショッピングモールなのに、自分以外に外には人がいなかったからです。


10分ほどして我先にと外に走って出てくる人達を見て状況が状況なのに安心したのを覚えています。


その後は割愛しますが、計画停電が厄介でしたし、何より余震の度にそこら中から緊急地震速報を伝えるアラームが騒がしく鳴り響き、とにかく落ち着けない日々を送っていました。


それでも私の地域は近所の工場で爆発があったくらいで、比較的被害は小さく元の生活には2週間程で戻る事が出来ました。



東北では津波原発の問題が連日取り上げられていて、これを書いている今でも震源地周辺の方々は避難した場所での生活を余儀なく送られています。




今回はここからが本題です。




先日、仕事終わりに駅から家まで歩いて帰っている途中と、近所に住む知り合いからマッタリ家で飲みましょうという誘いを受け、5時間程夜中まで雑談をしていました。


なんとなくテレビだけはBGM代わりに点けていましたが、そこで戦後から現在までの最も取り上げられたニュースランキングみたいなものを放送しており、勝手にベスト10の予想を2人でしていました。



オウム真理教とか酒鬼薔薇聖斗事件なんかを挙げていたと思います。


「そういや東日本大地震は?」


と言ったところ


「意外と東日本の人くらいしか興味ないから四国とか九州なんかでは話題になってないんじゃないの?」という返答が。


そんなバカなと思いました。


あれだけ大きな地震で、しかも原発問題にもなって話題にならないわけないだろうと答えましたが、結果から言うと第7位でした。



その話題から1週間後が今回の地震でした。



正直な感想を言うと、地震があった事を知ったのが翌日の夕方でした。


テレビも見てなかったし、スマホもニュースを見る事がほもんどなく、当日もブログは書いていましたが全く関係のない話題に触れていたと思います。



でも本当に何もなかったんじゃないの?ってくらい、話題に挙がらなかったんです。

 


普通に飯食って、煙草吸ってと人と話す機会があったのにも関わらず、相手からは1度たりとも熊本の地震について振れられてないんです。


あの日、彼が言っていた興味ないんじゃないのという話は正しかったんだと思いました。



同じ国の中でここまで大きな出来事が起きているのに、下手したら未だに知らないという方が普通にいてもおかしくないレベルの認識なんだなと。



親日関係にある国々では前回の震災もそうでしたが、今回も募金が募われたり物資が送られたりなど復興支援をしてもらっているのに、自分に害がないと思った途端に見て見ぬ振りなんです。


この国は本当に大丈夫なのか?と怖くなってしまいました。



でも、偽善者ぶるつもりはありません。



コンビニには毎日のように行くのに募金もしてないですし、やっぱり他人事だと感じながら生活している自分がいたんです。


ようやくテレビを点けたら国会で安倍さんが自衛隊の派遣や物資の輸送を話されていましたが、どこまで本当かもよくわかりません。


と言うのも、前回は確か日本人ジャーナリストの湯川さんがイスラムで囚われた時に見ていましたが、何かしようとはしたんでしょうが結果から言うと見捨てていたわけです。



助けないのが正解だという声も多く、小泉首相の時も人質は助けないという選択をしているわけですし、日本人は案外愛国心が薄く、自分さえよければ良いという集団なのかもしれないと再度思わされました。



随分と脱線しましたが、1日も早く復旧が出来る事を祈るばかりですし、どこかで募金を募る動きがあれば少なからず協力したいなと思った出来事でした。



歯医者について

昨夜の事。


のど飴の代わりに三ツ矢サイダーキャンディを立て続けに頬張っていました。


あまりにも美味しかったのでバカみたいにバリバリ食べていたら、奥歯にくっ付いて固まってしまい、力を入れて口を開けたら詰め物が取れるというハプニングがありました。


来週から歯医者には行こうと思っていたのですが、これはマズイと思いがけず今週から通う事になりました。


昔から体質的に虫歯は出来やすいようで、これまでも幾度となく歯医者には通いましたが、過去に通い切った事は1度もありませんでした。



まず歯医者の嫌いな部分としては、1度に複数本の治療を行ってくれない点が挙げられます。


こっちは治療の為に前後の予定を考えて動くわけですが、1時間くらいかけて4.5本やってくれて全然構わないし、虫歯がどんなに多い方でも1ヶ月後には終わる計算なので通いやすいのでは?と思います。


次に個人的な事で言うとホモでもゲイでもないですが男性の先生が少ない事です。


正しくは助手に男性の方がいないという点。



確かにマスクをして目元だけバッチリメイクの女性の助手の方は、目の抱擁という意味では非常にナイスだと思います。


仰向けになっていて出来る数は限られますし世の男性は唯一の歯医者での楽しみとして訴えるかもしれません。


ただ、治療が必要な口の中を見せなければいけない羞恥心が勝り、だったら手だけ清潔なオジさんの方が気が楽だって話です。


「痛かったら手を挙げてくださいね?」


なんて、貴女の前では格好つけて挙げられませんよなんて思って無駄に我慢するオジさん多いと思うのです。


それに挙げた事もあったんです。


「もう少しで終わりますから我慢してくださいね❤️」


アホかおめぇwww

痛かったら手を挙げるのはそんな言葉じゃなくて麻酔が欲しいんだよwwww



あとは最初から歯医者にそもそも通い切ろうとしている人が少ないんだと思います。


そもそも痛む歯があった時に、その歯だけを治しに行く目的で初回は行くはずです。


それをあっちもこっちも悪いから全部やりましょう!やらなくても良いですが困るのは貴方ですよ?


的な感じで来られたら、じゃあお願いしますって渋々なるんですよね、日本人だから。


今回の自分の場合は全ての歯を綺麗に治してもらいたいという目的があるので構いませんが、治療途中で来なくなる人の7割くらいはこれが理由なんではないでしょうか?


人から見えなくて痛みもなければ放っておいてもいいというのは、割と頷ける理由になると思うんですがね。


そして最後がとにかく痛すぎるって事です。


20歳迎えてからも何回も通いましたが、基本的にあのドリルは痛いです。


それも普段は感じる事のない強めの痛みなので、耐え切れませんよね。お涙頂戴もんです!


そんなに痛いならと麻酔をドヤ顔提案されても、その麻酔が超痛いじゃないですか!


歯茎に注射をバンバン刺されて歯よりもそっちが2億倍痛かったのを覚えています。


そんなこんなでワーワー言うてますけども、久しぶりに歯医者に行った感想を書きますと、技術は進歩してるんだなと思わざるを得ませんでした。


まず恒例の歯をチェックします!ってやつで2分くらいだったかな?


どの歯が健康で、どれが虫歯でみたいな事を先生が助手の方に伝えているんですけども、途中で口をゆすいでくれと言われ、ゆすぎ終わったら全ての歯の写真が撮り終わってプリントアウトされてたんですよ!

 

なんつー早業!盗撮にも程がある!



次にスゲーと思ったのはなんだかんだ麻酔。



前までは上にも書いたように歯茎に注射していたので、ポロポロと泣いていたのですが、今回は塗る麻酔って言うのかな?


とにかく一切の痛みがなく、僕には先生がブラックジャックか、神かなんかに見えてました。


年齢も同い年くらいだったし、話し方も柔らかくて、つい通ってしまうなこれはと元々の目標を達成させてやろうという気になりました。


とにかく久しぶりの歯医者さんは終わってみれば素晴らしいの一言でした。


ただ、書いている今は麻酔が切れて歯が痛いですがね…w