megane30sai’s blog

オッサンのオッサンによるオッサンの為のブログ。

意図的と無意識

たぶん国語の話。
苦手だけど書いてみようかな。


タイトルは意識と無意識にしようかと思ったんだけど、しっくりくるのは意図的だったからコチラで。

何か行動を起こす時は、ほとんどの場合は意図的である。

『〜しようかな』というのは具体的でも不明確でも、人が動く際の燃料になっている事は間違いない。

コレに対して、無意識というモノがある。

『なんとなく』とか『気がついたら』ってのが該当するのかな?


なんとなく炒飯にしてみた。
なんとなく歩いてきた。
なんとなく左手で掴んだ。
気がついたら寝てた。
気がついたら走ってた。


ここまで書いてみて思ったのが無意識は過去形である事。

意図的は未来系、または現在進行形であるという事。

この2つが両立する事柄ってあり得るんだろうか?

こんな事を書こうと思って始めたわけではないけれど、書き出しは意図的で、内容は比較的無意識だ。


例えば誰かを喜ばせようと思ってとる行動や言動は意図的だ。

例外があるとすれば、喜ばせようととなんて思わなかったのに相手が喜ぶパターン。

これは結果として無意識だ。

寝ようと思って寝る事と、寝る気はなかったのに寝てたってのは誰しもがよくあるだろう。

無意識はある結果に対して、その結果を求めずに選択した意志が生み出した現象なのかもしれない。

日本語ってホント難しいのな。

私の会社では仕事の出来栄えを4段階で考えている人が多い。

悪い順番で書いていくと

①無意識無能
有意識無能
有意識有能
④無意識有能

このようになる。

新しい事を始めた際は、誰もが何をしたらいいのかわからんちんな状態なので、全く仕事にならない。

次のステップでは、少し何かしてみようと思うが上手くいかない。

慣れてくると、こういう風にしてみようという考えが、きちんとそうなるようになる。

最終的には、頭が最善の手を瞬間的に考え、次の瞬間に身体が勝手に動いている。


世の中、仕事が出来る人間は3つ目の有意識有能であり、仕事が出来ないと呼ばれる人は2つ目の有意識無能である事が多い。

4つ目なんてのは、そもそもありえんのかい?って話なんだけども、場合によって自分が4番に限りなく近い瞬間がある。

何をしたらいい?という自問自答がとてつもなく早く、結果が出るまでは時間がかかるが、改めてきちんと考えてもそれが最善策である場合だ。

この積み重ねで意図的に仕事をする、遊ぶというモノが、全てにおいて無意識に出来てしまったら余裕が凄いんだろうな。

余裕という言葉を使ったので脱線するけど、意図的に意識してやっている場合は周りの環境や影響を受けやすい。

思考の妨げになりやすくブレやすい。

これが限りなく無意識に近いと、人に何を言われても自分を保てるし、聞いてあげながら別の指示を出す事が出来る。

なかなか上手くまとめられたのではないかと、ブログを書く事においては有意識無能な私が自画自賛してみる。